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すこしづつの願い

祈り(死刑反対)(20080122)クリスチャンではありませんが、世界がより平和でありますように。

どこの国でも、誰もが、どんな人でも共に幸せに生きられる世界を祈ります。 ですから、どこの国でも死刑や釈放のない終身刑がなくなることを強く願います。 犯罪の被害者本人や、その家族、友人の、苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみはとても深く、それらの人々の心を癒すことはとても大事なことだと思います。 そして、殺人を犯した犯罪人を殺したり苦しめたりしても、愛する人は戻ってこないことも知っています。 復讐によって気持ちが晴れるとしても、それが本当の平和な世界なのでしょうか? 赤子がゼロの状態であるならば、罪人になるまでの「得体の知れない力」の作用を推し量るべきではないでしょうか? 自然に罪人になったとしても、その人を救うべきではないでしょうか? 復讐したい気持ちに克つこと、罪と定められたひとにも希望と安らぎを与えること、敵をも愛する強い愛と赦しを保つこと、が本当の平和のために根本的に必要だと思います。ある人が優れているとするならば、憎んでいる敵との敵対関係を築きなおし、ともに平和の中で生きることにおいてだと思います。 ともに生きることを喜びとする社会が本当の平和なのですから。
死刑反対(2007年1月3日)(2006年12月29日に作成し、間に合わなかった手紙。これからのために)

イラクのフセイン元大統領の死刑に反対します。 真の平和が、「共に生きることを喜びとする社会」であるということ、 「敵を愛する」ということが、憎しみの連鎖を防ぐ効果があるということ、が その論拠です。 いかなる犯罪を犯した人間であれ、真の平和のもとでは、一時的な抑制があったとしても、希望を失わず幸せに生きるべきだと考えます。その幸せの可能性を完全に否定する、死刑や釈放のない無期懲役に私は反対します。 この考えは平和主義に基づいた理想であり、刑罰の犯罪抑止効果を十分考慮した現実政治思考とは一部相容れないことは十分承知しております。 私の平和主義の立場の限界は、現実的政治にまで深く言及、関与しない、「きれいごとを述べるにとどまる」ことです。 つまり、私の平和主義はきれいごとを主張するにとどまります。 しかしながら、現実を理想に近づけることも政治として重要であると考えます。 現実の中で、可能な限り、人々に幸せを。
津波からの避難所(トリビアの種への投稿)(2006年5月8日)

スマトラ沖大地震の時、モスクに避難した人々が津波から助かったと言う報道を観て思いましたが、海の近くに、広い高床式の避難所があれば、どのくらいの人を津波から救えるのでしょうか?避難所は多目的ホール(体育館などになる)であれば、普段も役立つと思います。避難所の高さ、規模、場所、季節、時間などによって助かる数が変わってくると思いますが、一例を挙げるとすればどのくらいになるのでしょう?人一人の命を救うことは大変で価値あることでしょうが、避難所が成功すれば、沢山の命を救えると希望しています。トリビアになるだけでなく、トリビアを超えて役立つ一例になれば、と希望しています。
石油後の繁栄(2004年6月18日)

今すぐにではありませんが、イラクの将来の繁栄のためには産業構造が石油輸出依存のそれから転換するのが明らかに重要だとおもいます。その変化のために、とても重要なのは戦闘ではなく再建だとおもいます。怒りや憎しみをぶつけるのではなく、敵を愛し、赦しあい、力を建設的に発揮することを願います。
イスラエルとパレスチナの衝突について(2004年3月26日)

双方とも目標は平和だと思います。怒りや復讐に一時目標を見失わないで下さい。これまでに相手側にもたくさんの被害者がいたことを思い返して下さい。お互いにこれ以上犠牲が増えぬよう祈って下さい。双方とも敵をも愛する心をもって自分から率先して赦し合い、お互いを生かす社会(Joyous Coexistence)を築いて下さい。
イランの住宅を耐震にしたい!(2003年12月29日)

2003年12月26日、イランで大地震がありました。 報道によると、1万5千人の死亡が確認されました。 イランの住宅は一般的に日干しレンガでできています。 そのため、地震には弱いそうです。 そして、専門家によると、地震は天災としてあきらめてしまう背景があるそうです。 しかし、耐震性の弱い住宅で悲劇が繰り返されるのは間違っていると思います。 今後は少しずつでもイランの風土と文化に適合した新しい耐震性の強い住宅を開発すべきだと思います。 誰かが、イランでこの問題に取り組んでいる人々と諸外国(特に先進国)の共同作業を促進して良い結果を出してくれることを願います。 その為にどのようなステップを踏むべきでしょうか? どなたか建設的なご意見をお待ちしております。
戦いについて(2003年10月7日)

だれも傷つけず、ひとりひとりが守られ尊重される国を築くことはとても難しい戦いでもあるでしょう。 自分には困難すぎますが、命を懸けて成すに値することかもしれません。 時期に応じて、なすべきこと、できることに集中し、 状況をわずかでもよりよいものに変えてくれることをねがいます。
イラクで続く争いについて(2003年10月3日)

どのような理由であれ、殺し合いは倫理に反すると思います。その意味において米英の言うリバティーもイラクの主張するジハードも誤りを含むと思います。数千万の人々がエイズで死につつある現在でさえ無益な殺し合いを続けるべきでしょうか?早急に殺し合いを止め、その力とお金が苦しむ人々を救う為に用いられることを願います。