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日本の安全保障環境と日本の選択


日本が憲法9条護持、専守防衛にとどまるなら、そうとう平和外交を強化しなければならない。さもなくば世界が、特にアメリカが納得しないだろう。
集団的自衛に軍事的に参加することは、戦争に巻き込まれる、自ら率先して参戦することを意味するので、日本はそうであって欲しくない。なんとか平和外交にとどまる道を選択してほしい。

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最近の日本の安全保障の議論

憲法9条改正、集団的自衛権の行使が議論になっている。これは日本が戦争拡大国家を目指しているというよりは、アメリカの日本からの撤退という流れの中での現時点での日本の受動的な選択の一つのように思える。このままではアメリカはもはや日本を守らないのだ。

三国志

世界がEU圏 中国を中心としたアジア圏 アメリカ圏の3地域に主に主導されるなら、アメリカ軍日本駐留は無駄となる。中国軍がアメリカに、ハワイを中国とアメリカの勢力境界線にするよう提案したとのうわさもある。アメリカにとって、別に悪い話ではないのかもしれない。米ソ対立から中国圏を育てた後の無駄な日本駐留を終わらせるいい機会とみなしているのかもしれない。

紛争の非合法化と日本の選択

戦争が非合法化され、紛争を犯罪として集団的に取り締まろうとする動きは合理的だと理解できる。国際安全保障の現実だろう。とはいえ、日本がその取締りに軍事参加すべきかは別問題だ。戦争反対を主張するならば、世界が納得するほど特別に平和外交で貢献する必要がある。災害緊急援助、開発援助、紛争調停、人道支援、など、これまで行ってきたことも多いだろうが、これらを、軍事行動に相当するとみなされるレベルまで行わないと、非軍事行動のみという選択を世界が納得しない。容認してくれない。容認されてようやく、集団的自衛というなかで、日本だけ非軍事に徹することができるのだろう。

非軍事に徹する

最近のテロリストによる誘拐などをみると、非軍事行動が無防備ではだめであろうことは明らかだ。平和ワーカーにも武装した保護が必要だろう。とはいえ、自ら武装するかどうかは別の話だし、専守防衛とも別の話だ。さて、非軍事行動を行う上で、その必要となる保護は外国の軍隊に任せるという手もある。牧師や宣教師が自ら武装闘争すべきか?という問いに似ていると考えるのである。彼らは別の誰かが守るべきだろう、といったことなのだ。
守るに値する牧師や宣教師に相当するかそれ以上の非軍事貢献を行うのはなかなか難しいだろう。当然命の危険もともなうプロジェクトもあろう。金銭的にも相当要求されるかもしれない。だが、世界が納得するレベルまでそれらを高めなければ、非軍事に徹することは難しいだろう。

おわりに

国際安全保障の名のもとに普通に戦う国か、あるいは非軍事的に(専守防衛なので)世界平和に貢献する国かその選択が問われているだろうが、私は後者を希望します。