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宇宙の有限論等との対話



<1>宇宙には終わりがある、という見解との対話
<2>宇宙は時間的に有限であるという考えとの対話
<3>3次元トーラス構造による宇宙の有限論との対話(2023年6月7日版)
<4>「空間は物理的存在であり、「無」とは異なる。「無」は空間的広がりを持たない」という見解との対話
<5>空間曲率による宇宙の有限論との対話
<6>宇宙空間は膨張、収縮する有限のものであるという考えとの対話

<1>宇宙には終わりがある、という見解との対話

2017年発行の講談社ブルーバックス『宇宙に「終わり」はあるのか~最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで~』によると、最新の科学的見解に立てば、宇宙には終わりがあるという。

<引用~>虚無のマザーユニバースからビックバンの混沌として誕生した我々の宇宙は宇宙歴10の100乗年後頃にビックウィンパーと呼ばれる永遠の静寂を迎える<~引用>(p.13)


この本の著者、吉田伸夫氏は、この「マザーユニバース」の広がりが有限か、無限かは明言していない。

しかしながら、

「マザーユニバース」の広がりが有限だとしても、”全”宇宙の無限の広がりと永続性を前提とするならば、「マザーユニバース」は一つとは限らない。したがって、一つのマザーユニバースが「ビックウィンパー」で「静寂」を迎えたとしても、別のマザーユニバースで、別のビックバンが起こりえる。別のビックバンが起こりうることを前提とすれば、”全”宇宙は全体としては「静寂」を迎えない。終わりを迎えることがあるのは無限の宇宙のほんの一部分であろう。繰り返すが、無限の”全”宇宙は全体としては「静寂」を迎えない。

逆に「マザーユニバース」の広がりを無限としているとすると、「我々の宇宙」がビックウィンパーと呼ばれる永遠の静寂を迎えるとしても、無限の全宇宙の中に別の宇宙が存在していたり、新たな宇宙が誕生しうるのである。

ただし、同書の著者によると、無数の宇宙が誕生する可能性は指摘できても、アイデアを出すだけでは不十分で、多くの物理学者を納得させるだけの理論はいまだ作られておらず、計算可能な具体的モデルを作らなければ、物理学では、まともな議論と見なされない、とのことである。

とはいえ、「マザーユニバース」が有限であれ無限であれ、以上のことから「論理上は」、”全”宇宙は全体としては「静寂」を迎えない。終わりを迎えることがあるのは無限の宇宙のほんの一部分であろう。繰り返すが、無限の”全”宇宙は全体としては「静寂」を迎えないのである。

<2>宇宙は時間的に有限であるという考えとの対話

”全”宇宙は時間(*)的にも無限に存在する。ビックバンに始まる宇宙には空間と時間に始まりがありうるとすると、無限の時間と一見矛盾するが、その矛盾は、ビックバンに始まる有限宇宙を無限に広がる"全"宇宙の一部と認識することを前提として、多層時間モデルで解決しうる。

まず、(1)全宇宙が時間的にも無限に存在することを説明し、次に(2)多層時間モデルについて説明する

(1)結論を端的に述べると全宇宙は空間的広がりを無限に持つ無(絶対的無Ⅰ)を含み、それは、一切変化せずあり続けることから時間的にも無限に存在するのである。ゆえに全宇宙は時間的に無限に存在するのである。

前提となる全宇宙の説明は次の通りである。
端的に言えば、全宇宙は「無」と「有」を合わせたものである。「無」とは、「絶対的な無」と「相対的な無」に分けられ、いずれも、認識の対象となるため「存在」の一つである。

すなわち、全宇宙=すべて、とは、「絶対的無Ⅰ」+「絶対的無Ⅱ」+「有」(「相対的無=相対的有」を含む)

(「絶対的無Ⅰ」=言葉によってしか認識しえない無のうち、空間のあるもの)
(「絶対的無Ⅱ」=言葉によってしか認識しえない無のうち、空間もないとする無)
(「相対的無」=「相対的有」でもある=ある存在にとって5感などで認識できないもの。たとえば紫外線。人間はそのままでは5感で認識できないが、存在する。計測器などで、目に見えて認識できる)
(「有」→存在を認識できる対象のうち、便宜上「絶対的無Ⅰ・Ⅱ」を除いたもの。「相対的無」、「相対的有」を含む。)
(「絶対的無Ⅰ・Ⅱ」も言葉によって認識しうるのだから、存在の一つとする。)

である。

さて、「絶対的無Ⅰ」とそれが時間的に無限に存在することの説明は次の通りである。

「絶対的無Ⅰ」は「言葉以外では認識できない、空間的広がりを持つ無」である。空間的広がりを持つ理由は、空間から一切の「有」をとりのぞいたものであるからである。(「有」はモノだけでなく、電波、光、におい、エネルギーなども含む)ゆえに、一切の「有」を含まない。また、空間の膨張、縮小、ゆがみを仮定しても、そのためには、膨張、縮小、ゆがみを許容、内包する場(スペース)が必要であるが「絶対的な無Ⅰ」はそうした場(スペース)である。つまり変質する要素を一切含まないので一切変化しない。別の表現をすれば、「有」を取り除いたものであるがゆえに、逆に、「有」の位置する背景的場とも言える。一切変化しないとは、変わらずあり続ける、無くならないということであり、したがって時間的に無限である。

「絶対的無Ⅰ」が空間的に無限に広がっていることの説明は下記のとおりである。

ある領域を想定すると、同時にその領域以外も想定している。ある領域の内外を合わせると無限空間であるが、「絶対的な無Ⅰ」はある領域の内外に内外と同じ広さ(無限の広さ)で存在する(領域の内側、外側、それぞれから一切の「有」を取り除いたものであるがためである)。
ゆえにある領域を宇宙とすると、その領域の内外である全宇宙は無限に広がり、また、「絶対的な無Ⅰ」も無限に広がっているのである。

したがって、「絶対的無Ⅰ」は「有」の位置する場として、背景のように無限に広がり、無限の時間に存在するのである。

ちなみに、このことから「全宇宙(すべて)の時間的始まりと終わり」は言葉の誤りであり。ありえないことがわかるのである。

(2)多層時間モデル

ビックバンに始まる限定的宇宙では時間の始まりが想定されているという。(*)

この想定は、時間も多層的であるとするモデル上では全宇宙の時間的無限と矛盾しない。

すなわち、「絶対的無Ⅰ」の空間的、時間的無限を背景として、ある層の時間の始まりを想定できるのである。

例えば、わかりやすいように時間の進む速度が異なる(通常より早い/遅い)ストップウォッチを動かし、止めることで、ある時間の中に別の時間が存在しうることがわかる。したがって、無限時間の中に別の時間、あるいはさらに別の時間の始まり、終わりが存在しうる。時間は多層的でありうるのだ。

ちなみに、全宇宙は無限にして永遠であるから、ビックバンも一つとは限らない。宇宙は複数存在しうると考えるべきであろう。

(*)ここで論じている「時間」の定義についての私の理解と限界は次の通りである。

  時間=時と時の間
  時=時点、時刻
  時点・時刻=何かが「存在」している一つの瞬間
  間=差、変化、そのまま、のひと続き。
 
  それ以上のことは今現在(2023年5月現在)よくわかりません。

(*)ビックバン理論では時間に始まりがあるとしている:佐藤勝彦. “相対性理論における時間と宇宙の誕生”. 時空のデザイン. 2007. http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/2006jiku_design/satou.html, (参照 2023-5-2).

<3>3次元トーラス構造による宇宙の有限論との対話(2023年6月7日版)

3次元トーラス構造とは、ある長方形の上下、左右のつながった2次元トーラス(輪環面)(ドーナツの表面のような構造)が前後にもつながったとされる構造である。2次元の場合と違って、辺ではなく面を考えて、離れたところにある面を同じものとして繋げたものとされる。これにより、どの方向へまっすぐ進んでいっても、結局は同じ世界をぐるぐるとまわっているだけになる、と言われる。
ドーナツの形の例えは、あくまで類推としてのものであり、どこにも曲率がなく、すなわち、空間が曲がることなくくっついた構造である。
(参考:松原隆彦『宇宙は無限か有限か』光文社新書 2019年)

そして、宇宙がこのような3次元トーラス構造であり、その広がりは有限であるという考えがある。

しかし、もしわれわれの住む一部の宇宙がこのような3次元トーラス構造だったとしても、”全”宇宙は無限であると考える。あるいは、”全”宇宙が3次元トーラス構造であり、したがって有限であるという考えは、誤りであると考える。

まず、3次元トーラス構造が物理的にありうる有限の構造体であると仮定しても、有限の3次元構造体である以上、それはXYZ軸からなる無限の空間の中に納まるはずであることからも全宇宙は無限である。すなわち、有限の3次元構造であるからには、無限であるXYZ軸に内包されるはずであり、逆に言えば、3次元トーラス構造の外側にXYZ軸が(その先はどこまでも)広がっているのである。

次に、3次元トーラス構造は、ドーナツのような曲がりを持たない、すなわち上下、左右、前後に曲がりを持たずにつながった構造だとされているが、それは、一定の広さを持った、ある地点から先に進めず、堂々巡りになるループ構造に等しい。すなわち、そこでは「真っ直ぐに突き進む」ことによっても、ループして一定地点より先に進めない(どこまでまっすぐに突き進んでも、堂々巡りなどになってしまう)とされる。このループは、我々の住む宇宙がプログラム上のものある場合、ありうる。しかしながら、仮に、我々の住む宇宙がそのようにループする3次元トーラス構造だとしても、やはり、全宇宙は、その一定の広がりの外側、ループする地点のその先(が「無」であったとしても、それ)を含むものであるから、無限である。

ちなみに、全宇宙は無限であるから、3次元トーラス構造の宇宙や、そうでない宇宙が複数同時に存在している可能性もある。



<4>「空間は物理的存在であり、「無」とは異なる。「無」は空間的広がりを持たない」という見解との対話

言葉の上で空間を持たない「無」(私はそれを「絶対的な無Ⅱ」と名付けた)が存在することには同意する。だが、空間から、物質だけでなく、波、光、エネルギーといったあらゆる「有」を取り除いた「絶対的な無」(わたしはそれを「絶対的な無Ⅰ」と名付けた)も、空間的広がりを持つものとして存在するはずである。(空間がゆがむといった性質を仮定しても、それを背景的に許容、内包する場が必要であり、「絶対的な無Ⅰ」とは、そうした場(スペース)でもある。空間は多層的でもありうる。すなわち背景として一切変化しない層と、変化する層が共存すると考えるのである。

言い換えると、空間的広がりを持つ「絶対的な無Ⅰ」を背景のように(と多層的に)物理的な性質持つ空間が広がっていると仮定できるのである。空間が物理的な性質を持たず「有」を一切含まなければ「絶対的な無Ⅰ」と等しい。

空間が多層構造でありうる例としては、仮想現実の世界が挙げられる。コンピュータの仮想空間が一つの現実として存在するが、背景的に我々の住む世界が存在しているのである。

もう一つの例(例示としてやや弱いかもしれません)は、実験で使うような容器を想定するものである。その容器の中の空間と実験室の空間の差が生じれば空間の多層構造の例となりうるかもしれない。すなわち容器の中の空間だけが物理的に変化して、実験室の空間と差が生じ多層的になりうる、と考えるのである。

要はつまり「無」には、空間を持つものと持たないものがある。「無」の一部に空間がないものを含むからと言って、それが「無」のすべてを表すと考えるのは認識の誤りである。「無」には空間的広がりを持つものも存在するのである。

<5>空間曲率による宇宙の有限論との対話

松原隆彦著『宇宙は無限か有限か』光文社新書 2019年

には、空間曲率による宇宙の有限論が述べられている。

以下引用

・・・実際の宇宙において、空間曲率がどこまでも正であると何らかの方法で証明できたなら、宇宙は有限に閉じている、と結論づけることができるのだ。この場合は宇宙が無限に続いているかどうかという問題には終止符が打たれる。そのような宇宙でまっすぐ進んでいくと元にいた場所に戻ってしまい、空間が無限に続いていることはない。

・・・引用終わり

しかし、空間が曲がっていると仮定しても、本当にまっすぐに突き進めば、その閉じた空間を突き抜けていき、その先は、どこまでも無限に広がっているのである。

このことは、「地球上をまっすぐに進む」ということから生じる認識の誤りから理解することができる。
普通、地球上ひたすらまっすぐに歩いていけば、元の場所に戻る。球面上を一周することになるからである。そこから、「本当に」まっすぐに進んでも、元の場所に戻るという誤解が生じる。

どのような誤解かは次の通りである。

この場合、本当にはまっすぐに進んでいないのである。地球上をまっすぐ歩く場合は「地球の曲面に従って」まっすぐに進んでいるのであって、本当にまっすぐに突き進んではいない。

本当にまっすぐに突き進めば、球体である地表の曲面には従わず進むことになり、
次第に地表を離れてやがて宇宙を突き進むことになる。

同様に、宇宙を「本当に」まっすぐに進んで行くと、空間の曲がりに従わないため、その閉じた空間を超えた、無限の先へと進むことになるのである。

空間の曲がりの存在を仮定して、その曲がりに従わず進めるかどうかと、曲がりに従わず進む先が存在するのかは別の問題である。

すなわち、曲がりに従わず進めるかどうかは、技術的な問題であり、
曲がりに従わず進む無限の先は、論理的に考えて、明らかに存在するのである。

以上のことから、我々の住む宇宙が有限の空間として閉じていても、その先には無限の広がりが存在するのである。

<6>宇宙空間は膨張、収縮する有限のものであるという考えとの対話

ビックバン理論などによる宇宙の有限論の一つとして、宇宙空間は膨張、収縮するものであるという意味での有限論が存在する。
すなわち、宇宙の膨張に限界があるかは、物質の「臨界量」によって決まり、臨界量以上であれば宇宙はビックバンと反対の現象が起き、最後に宇宙は一点に縮み、臨界量以下であれば宇宙膨張は永遠に続く、とされている(二間瀬敏史『図解雑学 宇宙論』ナツメ社 2002年 p.100)
しかしながら、空間が膨張するにせよ収縮するにせよ、全宇宙は、「無」も含んで背景的に存在するのであり、「無」も含むからその広がりは無限である。(「無」や全宇宙の無限については、「無限について」を参照してください)

ちなみに、我々の住む宇宙は全宇宙の一部であり、それがビッククランチと呼ばれる収縮による終焉を迎えたとしても、無限である全宇宙のどこかでは、別の宇宙が存在し、続いているはずである。

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