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正義の復讐者への手紙


まず、正義を実現するために、悪と定めた存在を害する、「正義の復讐者」がいるとするならば、 もはやあなた方は正義ではない、と言いたいです。

「殺すな」「汝の敵を愛せよ」という言葉に反することはあきらかです。キリスト教的には真の正義に反するのです。

「同害復讐」や「一罰百戒」は社会秩序の維持に有効であることには同意します。

また、悪を憎み正義を求めることが、社会に秩序をもたらしてきたと思います。

しかし、悪を懲らしめるということは、悪と定めた人々を苦しめ、悲しませ、時には殺すことに他なりません。



生まれること自体に悪はありません。ひとがどうなるのかは、乱数のように創造者の全くの気まぐれです。

責任があるとすれば、創造自体です。創造者が悪にしたひとびとも善に変わるように世界を変革すべきでしょう。


刑や罰は秩序を維持するための一時的なやむを得ない措置であって、それ自体は真の正義ではありません。

人は自分が正義だと思うときに悪と定めた人々を喜び楽しんで、苦しめ、殺すのだと思います。ヒーローものの観すぎかもしれません。


では、どうするのか。


復讐を行ってきた人々がいるとするならば、その強大な力を、復讐ではなく、一人一人を守り、育てることに用いるのはいかがでしょうか?

悪をも善に変えていくのです。


真の正義があるとするのならば、それは悪と定められた人々も含めた「全ての人の永遠の幸せ」だと思います。

どのような人に対しても、いかなる理由があれ、不幸にすることは真の正義に反するのです。

そこでは、自分も他人も害さないことが要求されます。

そのためには敵をも愛するという、偉大な愛が必要でしょう。


もし、ある個人や組織が、他より優れていると主張するのならば、そうした「愛」において優れるべきだと思います。


「正義の復讐者」がいるとするならば、

「愛の教育者」に自己革新してそれを実行してください。

わたしにはできないかもしれませんが、あなたがたは(存在するのならば)できると思います。

究極の平和:「永遠の幸せ」のために。