ホーム


相模原の殺傷事件とその思想について


殺すことによって解決しようとしたところが間違いであって、なんとか幸せに生かす解決策を自分で見つけるか、見つけて実現してほしい、と訴えるべきだったと思う。

重複障害者が家庭内の生活、及び社会的生活が極めて困難な場合、幸せに生かすことは困難かもしれないけれど、それを実現していく社会こそ理想としてほしかった。
世界平和のために、と言っていたけれも、「共に生きることを喜びとする社会」こそが真の平和なのだから。
そこでは、「生かす」ことが決定的に重要で、敵をも愛するという、強い愛情をもって人を生かすことが大切だと思う。
本人が生きたいと思っているなら、殺すべきではなく、生きたいのか死にたいのかわからないのならば、生かすほうを選んでおくのが無難だろう。
保護者の負担が大きければ、それは国が負担すべき問題。大変な現場を経験してきて、絶望的になったのかもしれないけれど、その時はまず、離れて傷つけないで欲しかった。
自分にできなくても、それ以上の困難な状況でも愛情をもって接することができる人もいるだろうから、そういう人、そういう余力のある人に任せるのも一つの手だったと思う。
皆からお金を集めて、みんなのため、特に弱者を守るのが福祉国家のあり方。重度な重複障害者を守るのは主に国の役割。一部の施設の人や保護者の負担が過度になって疲弊していたのは、国の力が足りなかったと考えるべきだと思う。

福祉の負担が世界経済の停滞を招いているのだろうか?
確かに福祉の予算が減れば世界経済は活性化するだろう。しかし、社会的弱者を犠牲にした活性化は大きな問題だと思う。
社会的弱者を犠牲としない世界経済の活性化の道をなんとか探し出し、実行することが大切だろう。
「全人類のために必要不可欠な辛い決断」とは、社会的弱者を殺すことではなく、「社会的弱者を犠牲としない世界経済の活性化」という大変難しい問題を、何度かなんとか解決しようと英知を結集して努力することであるべきだと思う。

本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐためには、国際協調による、世界経済の真の平和的改善が重要と考える。
アメリカ、イギリス、EU、ロシア、日本、中国をはじめとして全世界的に経済が行き詰っているのが現状で、それを、戦争でごまかすのがおそらく第三次世界大戦につながる要因ではないだろうか。

世界経済の停滞の要因は、生産過剰と消費の停滞、言い換えると、モノが余ってモノが売れない。そして、モノが余っているのに人が金銭的に貧しくなる、いわゆる「景気循環」という”現在の”経済のあり方がもつサイクルの一つが原因だと思う。
また、競争や戦争に負けて経済が壊滅したら、そもそも福祉どころではなくなることはわかっている。とはいえ競争自体は完全に否定されるべきものではないのだろうが、過度な競争を規制する国際協調体制が重要だろう。
資本主義を完全に否定するのではなく、過度の不景気を必然的に持つという欠点の改善策をなんとか探して実行し、社会的弱者を犠牲としない世界経済の活性化を実現すべきだと思う。
なんとか国際協調をもって真の平和的に経済の問題を解決してほしい。

ある個人や集団が、ほかの個人や集団より優れていると主張するならば、真の平和的解決策を見つけ、実行できるはず。そうしてほしい。