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なぜ「平和の基礎理論」なのか?
これは「平和」について、その基礎的な部分となる言葉の定義を主に述べたものです。
私は平和を「ともに生きることを喜びとする社会(Joyous Coexistence)」と定義しました。もちろん、これは私の考えた定義であり、異論もあるでしょう。
しかし、この私の定義が叩き台となり、現実社会の更なる改善につながることを希望しています。それが、「平和の基礎理論」の意義の一つだと考えています。
「わかりにくい」という意見などに対し、理論の導入となるように以下を記します。
「平和とは何か」という問いは、「愛とは何か」「正義とは何か」という問いに似ています。
これらの問いにたいして、あいまいに、はっきり定義せずに答えてしまう人も多いかもしれません。そうしたことは普段、特に問題になりませんが、議論する時には、はっきり定義した方が良いと思います。なぜなら、それぞれが何となくもっているイメージを元に議論しては、結論がおかしくなったり、話が噛み合わなくなってしまうかもしれないからです。
例えば、「愛なのか恋なのか」「正義のための戦争はあるのか」といったテーマを議論する時に、それぞれがもっているあいまいなイメージや定義を基に話し合っても、結論に達するのは難しいでしょう。
また、「ともに生きることを喜びとする社会」を理想として、現実社会を見ると、さまざまな、改善すべき問題とその解決の方向がよりはっきりすると考えています。もちろん、わたしの定義やそれを基にした現実問題の解決方向が誤っている可能性も十分あります。
だから、繰り返しになりますが、平和の実現に対する叩き台となることを希望しています。
世界がより平和でありますように。